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  ひとつお暇ならご覧下さい・・・。

≪かなりTVが怖い!!≫

何気なくテレビのバラエティを見ていると・・・。



芸能人ネタ、政治ネタ、いろんなニュースを面 白おかしく放送していました。

ふーん・・。 手を替え品を替え、アナウンサーや司会者が熱くしゃべっている。



最近のTVのネタの傾向でよく思うのが、不正や不道徳に厳しくなって、
不正をやらかした人を糾弾(責める)が多いように思います。


公益を担う団体や法人などは公共の利益を損ない職務を放棄しているため、
多少でも電波を使って責められるのは必要性も感じるのですが、
個人の問題において道徳性を厳しく問うような番組構成は、
少し違うのではと思ってしまいます。

観ている側は他人事なので、


笑って面白おかしく一緒に責めていますが、なぜかしら違和感を感じてしまいます。



このような芸能人や政治家のスキャンダルやゴシップは
面白おかしい世間話として雑誌や新聞が古来から商売に
なっていたみたいなので、 民衆の娯楽で流行っていたのだろうと
推測できますが、

個人の問題を生活ができなくなるまで追い詰めるのであれば

集団リンチとあまり変わらないのではないかとも思ったりします。




それでも芸能人たちは有名税という言い方で


自己納得していたように思いますが、

それでも大きなお世話でおそらく、大変、不愉快あったに違いない。






最近のTVの打ち出し方は、
視聴者への謝罪要求をさせたり、
赤の他人が

『配偶者への配慮が欠けている』

『人間として最低』

などといった人格否定までしているような コメントも出て、

あげくには企業イメージを気にしているスポンサーも手を引き、

ゴシップの本人は仕事までなくなる時代です。

人気商売ゆえに仕方ないにしても、

少し、昔とは違う責め方になっているようにも思います。



おそらく、昔と同じなのは、他人の失敗は蜜の味、他人にとっては楽しい。

これは一緒でしょう、

昔と違うのはSNSなどインターネットの普及、

スマホなど個人携帯端末の普及により、

リアルタイムに匿名個人の意思を表面化させることが可能になり、

その他大勢の民衆に告知できるツールがあることがあると思います。




民衆の消費が経済の要であるため

大衆の感情や有権者の想いを無視できなくなり、TV番組のスポンサーなどは

消費者のご機嫌を取らざるを得ないのも理屈としてあると思いますが

その弱腰に民衆のストレスが同調してしまっているかようにも思います。


 

自分の生き方や境遇に不安が無く、

自信があれば、他の生き方に文句をつけたり、

干渉はしないようになるはずです。

視聴者自身が損害を被る場合は怒るのも解りますが、

芸能人の浮気や騒動や交通事故などほとんどの人が無関係です。

確かに褒められる事ではないことも多いですが、

個人の人格を否定する権利も必要もないように思います。

しかし正義の剣を振りかざすかのようにもっともらしく、



他人が見知らぬ人を痛めつけるのは何かしら危険も感じます。




ここで、身近なことに話を変えますが、

いじめや強制は各種の規制により

学校や職場でも抑制されつつあるように見えます。

いじめをすると学校ぐるみで対策する。

いじめで自殺があると先生がTVで謝罪する。

無くなった児童の親は学校の責任と怒る。

ここ数年では一般の店舗、コンビニ店や飲食店の不始末でも

文句があればすぐにツイッターやブログに暴かれて

謝罪を要求される。

消費者やサービスを受ける側の力が強くなってきているような気がします。



もしかしたら、

弱いものに

自分の持っているストレスや不満をぶつける先を探していたり

するのかも知れません。


現代は、いろんな場面や環境下で

コンプライアンスや実行不可能なルールが闇雲に増えています、

そのパワーがはけ口を求めているのだとしたら・・・。

もしかしたら、


弱いものに自分の持っているストレスや不満を


ぶつけることで解消しようとしているのなら・・・。


正義は違う方向に向かっているのかも知れません。 どうでしょうか?



そんな流れを助長しているのがインターネットやSNSかも知れません。

匿名で偉そうに発言してもあまり自慢できるものではないと思います。

また、そんな大人を見ている子供たちが見習うことも

忘れてはいけないと思います。


理由さえあれば、匿名であれば他人を傷つけても良いんだ。

と。 それは、昔の集団リンチの原理に似ている気がします。

ある種、加害者の存在しないイジメでもあります。


匿名であれば、なんでもしても良いはとても危険だと思います。


今の日本は法治国家、人が裁いてはいけない仕組みなのです。



他人を頭ごなしに否定したり、

足を引っ張ったり、

傷つけたりしても自分が成長する訳は無いように思うのですが・・・。




また、加えてやさしい世の中に一見見えているだけなのかも知れません。

決して楽にはなっていないのに表面だけ優しくなっても


ストレスは増大する一方かも知れません。

解決方法について考えてみたのですが・・・。

これも同じバラエティ番組内であったのですが、

その番組で10分前に新しい大臣に

『いい加減すぎる!』

『頼りなさ過ぎる!!』

と口々に苦言を呈していた方々が、

このお盆の帰省ラッシュの渋滞車両ドライバーのお父さんのお話になり、

家族が文句を言うことについて、

ここでは急に『お父さんが文句を言ったら家族崩壊だから大変ね!』


といってました。

『運転して大変なのはお父さんなので、 運転しない家族が、
あーだ、こーだ言うのは変だよね、任せた以上、信用してまかせなきゃ』


と、行っていました。

そのことがわかるのなら、

なぜ政治家の苦悩の一端でさえもわかることができないのか不思議に思えました。

お父さんも一家の長ゆえ

休み明けでも渋滞の運転を引き受けている。 文句を言われると

モチベーションも下がるから大変そうです。

イライラしています。


私には渋滞でイライラするよりも


勝手な文句を言っている家族に対してストレスが溜まっているように思えました。



考え方をスイッチするのもひとつの方法ではないかと思いました。

『ナスカの地上絵が上空からしか認識できないように、
上に行かなければ見えない景色がある。そしてその逆も然りだ。』


という文言がありましたが、視点を切り替えて広く見たり、

細かく見たり立場を変えてみたりしてみると意外と解決することもあると思います。


政治家も人間、少なくとも『国のため』と思っているはず、

揚げ足を取るだけではなく、

身近な人に置き換えてみれば少しは心情もわかることがあるはずです。

偉い人も一緒です。芸能人も人の子、みんなと同じ失敗はするものです。


鬼の首を取ったみたいに責め立てるまえに苦労や悩みをわかることができれば、

自分の心も平和になりそうですしね。

人を責めているときは、心から苦味が出ているような気がしてなりません。



優しく、平和に人生を楽しもうと思ったら憎む要素は少ないほうが得な気がしませんか?










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